市川学園鉄道研究部

TOP>研究特集>瀬戸の架け橋

研究特集
「瀬戸の架け橋」

1.3つの本四連絡ルート


 本州と四国を結ぶ橋は3つのルートがあり、本州四国連絡橋と呼ばれている。 いちばん東が、神戸・鳴門ルート。兵庫県神戸市から明石海峡大橋、淡路島、大鳴門橋を通って、徳島県鳴門市につながる。これらは全て神戸淡路鳴門自動車道として自動車専用の道路となっている。続いて真ん中、児島・坂出ルート。岡山県と香川県を瀬戸大橋で結んでいる。橋は二重構造になっていて上を瀬戸中央自動車道が、下をJR四国の瀬戸大橋線が走っている。そのお隣が尾道・今治ルート。西瀬戸自動車道として広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ。瀬戸内しまなみ海道と呼ばれ、自動車に加えて歩行者・自転車・原付バイクでも渡ることができる。



2.瀬戸大橋


(1)概要
 瀬戸大橋は6つの橋からなっていて、その全長は9368mと、鉄道道路併用橋としては世界最大級の長さを誇る。今年の4月に瀬戸大橋は開業30周年を迎えました。日本の橋梁(とうりょう)技術は、欧米と比べて半世紀遅れていると言われていたが、完成当時ダブルデッキ構造の吊り橋としては、瀬戸大橋は世界一の長さを誇り、日本の架橋技術の進歩を世界に広めることとなった。開通から30年が経ち、今では欠かすことのできない橋のひとつとして存在している。


(2)歴史
 瀬戸大橋ができるまでは、本州と四国は宇高連絡船(うこうれんらくせん)という岡山県の宇野駅と香川県の高松駅との間で運航されていた鉄道連絡船で結ばれていた。しかし、船での行き来は天候に左右されるため、決して安全な手段ではなく、沈没事故もまれに起きた。そのため人々は、安全な本四の連絡手段を求めるようになり、本四連絡橋が建設されることになった。
 最初に説明した3つのルートは、元々は同時進行で架橋工事が進められる予定だったが、起工式を前にした1973年にオイルショックがもたらす不景気の影響で、工事が突然延期になってしまった。そのため、国は本四連絡橋のうちいずれか1つの橋を優先的に架橋工事を始めるという決断を出した。すると、兵庫県と徳島県、岡山県と香川県がそれぞれコンビを組んで橋の誘致合戦が始まった。
 そしてオイルショックから2年後の夏、様々な調査内容を踏まえたうえで瀬戸大橋を最初にかけることが決まった。瀬戸大橋建設の裏側にはにはこのような歴史背景があるのだ。

(3)整備効果
 瀬戸大橋線の年間利用者数は、平成5年度をピークに下がりはじめた。
 私が注目したのは平成22年度だ。瀬戸大橋線の利用者が過去最低ほどに減ったのにもかかわらず、瀬戸中央自動車道の利用者が急激に増えているのである。この原因は高速道路の通行料金が値下げされたことだろう。今までETC料金で4000円かかっていた通行料がなんと1000円にまで値下げされたのだ。車なら複数人で1000円で移動できるのであれば、筆者も1人520円の運賃がかかる鉄道ではなく、車での移動を考えるだろう。
 しかし、一度は乗客数を落としたものの、その後の四国デスティネーションキャンペーンや瀬戸内国際芸術祭(せとうちこくさいげいじゅつさい)の開催などで3年連続で乗客数はわずかではあるが増加、回復傾向にある。

 瀬戸大橋ができたことによるメリットは、高速道路が広がり、瀬戸内地域の広域交通ネットワークが形成されたことである。中国自動車道を除き、部分的にしか完成していなかった高速道路も次々と整備が進められ、四国の高速道路総延長だけでも、30年間で10kmから600kmにまで大幅に成長した。
 昭和60年当時、徳島市から3時間以内で到着できるのは淡路島までだったが、現在では高速道路を使えば、大阪府・兵庫県・岡山県の大部分にまで簡単に行くことができるようになった。
 瀬戸大橋は人々の生活にとても役に立っている。通勤通学の幅を広げ、四国全域にコンビニを展開、本州からの物流に大きな変化をもたらした。
 瀬戸大橋を利用したドクターカーを使っての緊急搬送により助かった命もある。
 そして、自然災害による障害が四国、中国地域の一部で発生しても、いずれか3つの橋が予備の交通手段の役目を果たす。2018年夏、中国地方を襲った豪雨を例に挙げると、九州から近畿地方、東日本への物流がストップしていたものの、大分県から愛媛県へフェリーを渡し、四国内の高速道路と神戸淡路鳴門ルートを抜けるという手段で物流供給を可能にした。

(4)撮影記
 なんといっても子供たちに一番人気があるのは瀬戸大橋アンパンマントロッコである。
やなせたかしさんが高知県出身であることから、四国にはアンパンマン仕様の列車がたくさんあり、この列車もその1つだ。アンパンマンの音楽が流れていたり、たくさんのキャラクターが描かれていたりと、外装だけでなく内装までかなり凝った作りになっている。

 次は、瀬戸大橋を渡る看板列車のマリンライナー。撮影当時、先頭車両には瀬戸大橋線開業30周年記念ヘッドマークが設置されていた。

 こちらは岡山駅から松山駅を結ぶ8000系、8600系の特急しおかぜ。

 2000系、N2000系は四国内で特によく見かける車両の一つである。岡山駅から高知駅などを結ぶ特急南風、岡山駅から徳島駅を結ぶ特急うずしおなどの運用に就いている。写真からもわかるように、この車両にはパンタグラフがついていない。なぜならこの車両は非電化区間を走るため、電車ではなくディーゼル気動車となっているからである。

 高崎地区ではもう見れなくなってしまった湘南色にも遭遇した。西日本地域ではまだまだ115系は現役である。

 こちらは普通列車の運用につく6000系と、2016年にデビューした観光列車の「ラ・マル・ド・ボァ」。

 東京駅から高松駅、琴平駅を結ぶ大人気寝台列車サンライズ瀬戸号に加え、深夜や早朝には、貨物列車も瀬戸大橋を渡る。



3.明石海峡大橋


 この橋は1998年に完成したが、建設の最中に直下で阪神・淡路大震災が発生した。この地震で2つの主塔は最大で1m近く地盤ごと移動した。橋の中央径間が1991mとなっている理由はここにある。幸い、この後の調査で、橋に特段損傷がないことが分かった。これは震度7の地震に耐えたということを示し、これにより、明石海峡大橋の技術は地震対策の面でも世界トップクラスであることが証明された。
 筆者は橋の構造などを知るために明石海峡大橋の吊り橋を支える2本の大きな鉄塔、主塔のてっぺんまで歩いて橋を渡るツアーに参加してきた。
 道路の下はこのような雰囲気である。業務用通路を通り、主塔まで1キロほど海の上を歩いた。 主塔からの景色はこのような雰囲気である。主塔の高さは、横浜ランドマークタワーと同じくらいである。主塔の上までは、業務用エレベーターがあり、それに乗って上まで上がった。このツアーは中学生以上を対象に頻繁に行われているので、この迫力をみなさんにもぜひ体験してほしい。



4.まとめ


 開通30周年を迎えた瀬戸大橋では、多くのイベントが開催され、魅力満載の1年となっているので、皆さんも実際に足を運んで、その魅力を感じてみてはいかがだろうか。

TOPに戻る ページ先頭へ


このホームページに記載してある全ての写真、情報の著作権は市川学園鉄道研究部に属します。無断転載を固く禁じます。